日本舞踊中村流は文化・文政期に活躍した三世中村歌右衛門を流祖としている流儀です。そのため、歌舞伎所作の本筋を重視しながら、現在では「古典」と呼ばれる踊りを主に伝えております。
はじまりは、初代家元である三世歌右衛門が活躍した文化・文政期に遡ります。三世歌右衛門は金沢龍玉の名前で「御名残押絵交張〈おなごりおしえのはりまぜ〉」「遅桜手爾葉七文字〈おそざくらてにはのななもじ〉」の変化舞踊の新作も発表していました。それら変化舞踊の中には「知盛」「女伊達」「傾城」「座頭」「橋弁慶」「相模海女」など現在、歌舞伎舞踊として受け継がれているものが多々あります。
二代目家元である四世歌右衛門や三代目家元である四世芝翫も舞踊に優れた人であり「年増」「供奴」「浦島」「傾城」などの当たり役も残してきました。そして、それら舞踊を代々家元とともに中村流が引き継いできております。
ただ、古くからある舞踊に固執しているわけではなく、五代目家元である五世福助は新作にも意欲を出し発表してきましたし、六代目家元である六世歌右衛門は女形の視点から指導にあたり、七代目家元である七世芝翫は歌舞伎舞踊の所作を大切に指導すると共に五代目家元の新しい試みに挑戦する姿勢も引き継いできております。それらは現在、宗家九代目中村福助、八代目家元二代目中村梅彌、相談役八代目中村芝翫にも引き継がれ、日本舞踊中村流の中にも引き継がれていくでしょう。
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