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中村流について

日本舞踊中村流は文化・文政期に活躍した三世中村歌右衛門を流祖としている流儀です。そのため、歌舞伎所作の本筋を重視しながら、現在では「古典」と呼ばれる踊りを主に伝えております。
はじまりは、初代家元である三世歌右衛門が活躍した文化・文政期に遡ります。三世歌右衛門は金沢龍玉の名前で「御名残押絵交張〈おなごりおしえのはりまぜ〉」「遅桜手爾葉七文字〈おそざくらてにはのななもじ〉」の変化舞踊の新作も発表していました。それら変化舞踊の中には「知盛」「女伊達」「傾城」「座頭」「橋弁慶」「相模海女」など現在、歌舞伎舞踊として受け継がれているものが多々あります。
二代目家元である四世歌右衛門や三代目家元である四世芝翫も舞踊に優れた人であり「年増」「供奴」「浦島」「傾城」などの当たり役も残してきました。そして、それら舞踊を代々家元とともに中村流が引き継いできております。
ただ、古くからある舞踊に固執しているわけではなく、五代目家元である五世福助は新作にも意欲を出し発表してきましたし、六代目家元である六世歌右衛門は女形の視点から指導にあたり、七代目家元である七世芝翫は歌舞伎舞踊の所作を大切に指導すると共に五代目家元の新しい試みに挑戦する姿勢も引き継いできております。それらは現在、宗家九代目中村福助、八代目家元二代目中村梅彌、相談役八代目中村芝翫にも引き継がれ、日本舞踊中村流の中にも引き継がれていくでしょう。

【初代家元】
三世中村歌右衛門
安永7年~天保9年(1778~1838年)
大阪生まれであるが、度々江戸の中村座にも出演。金沢龍玉で新作も発表。
「御名残押絵交張〈おなごりおしえのはりまぜ〉」「遅桜手爾葉七文字〈おそざくらてにはのななもじ〉」などの変化舞踊を発表し大当たりをとる。
【二代目家元】
四世中村歌右衛門
寛政10年~寛永5年(1798〜1850年)
藤間勘十郎の養子で芝翫から歌右衛門になる。
「蔓一筋加賀文台〈つるのひとすじかがのふみだい〉」
「本町丸舳稲妻〈ほんまちまるみさきのいなづま〉」
「おどけ俄煮球取〈おどけにわかしゃぼんのたまとり〉」の変化舞踊で大当たりとなる。
恵比寿・竜王・球取海女・玉屋(おどけに入っている舞踊)、他に年増・供奴などの当たり役がある。
天保2年には六歌仙を中村座で勤めロングラン公演にする。
【三代目家元】
四世中村芝翫
天保元年~明治32年(1830〜1899年)
舞踊に優れ「花翫暦色所八景〈はなごよみいろのしょわけ〉」の助六・浦島・傾城や
「拙筆力七似呂波〈にじりがきななつのいろは〉」の供奴、「第二番九変化」の
安宅・官女・七夕娘・夜這星などの代表作をもつ。
俗に大芝翫と言い踊りの名人といわれた。
【四代目家元】
五世中村歌右衛門
慶応元年~昭和15年(1865〜1940年)
若くして團十郎、菊五郎の相手を勤め立女形として活躍、芝翫襲名後は
立ち役も勤め明治・大正・昭和初期に劇界に君臨した。
【五代目家元】
五世中村福助
明治33年~昭和8年(1900〜1933年)
「羽衣会」を主催し歌舞伎舞踊の新舞踊運動の先駆者として「女と影」「マグダラのマリヤ」など多くの作品を発表したが34歳で夭折。
【六代目家元】
六世中村歌右衛門
大正6年~平成13年(1917〜2001年)
戦後女形の最高峰として活躍。「莟会」など開催し、次々意欲的に歌舞伎界を牽引した。
【七代目家元】
七世中村芝翫
昭和3年~平成23年(1928〜2011年)
昭和28年に叔父六世歌右衛門より家元を継承。六世歌右衛門は宗家となる。
流儀門弟への指導にも並々ならぬ意欲をみせ、毎年必ず名取り向けの講習会を開き門弟へ直接指導にもあたった。
「羽衣会」を復活し、「雀成会」(中村流の会)を30回にわたり開催した。
【八代目家元】
二代目中村梅彌
昭和32年(1957年)生まれ。
平成24年3月、先代家元七世芝翫の遺言により家元を継承。
宗家は九代目福助、相談役は八代目芝翫が就任。
先代家元の遺志を継ぎ流儀門弟への指導に力を入れるほか、歌舞伎舞踊体験の場を設けたりと流儀門弟と共に日本舞踊を広く知ってもらう活動をしている。

  • 宗家 九代目中村福助

  • 八代目家元 二代目中村梅彌

  • 相談役 八代目中村芝翫